第六天神社 (杉並区)
天神社 | |
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拝殿とその手前に1771年(明和8年)造の狛犬 | |
所在地 | 東京都杉並区高井戸西1-7-2 |
位置 | 北緯35度40分44.58秒 東経139度36分43.89秒 / 北緯35.6790500度 東経139.6121917度 |
主祭神 | 面足之命・惶根之命 |
社格等 | 旧村社(近代社格制度) |
創建 | 不詳 |
別名 |
上高井戸第六天神社 第六天神社 六所様 第六天神(明治時代以前の呼称) |
例祭 | 9月10日(#祭事も参照) |
第六天神社(だいろくてんじんじゃ)は、東京都杉並区高井戸西にある神社[1]。登記上の宗教法人名称は天神社(てんじんじゃ)。
祭神
[編集]- 面足命・惶根命(おもだるのみこと・あやかしこねのみこと)
由緒
[編集]創建年代は明らかではないが鎌倉時代の頃と言われており、1559年(永禄2年)の小田原衆所領役帳において「高井堂」との記載がされている[2]。また、古くから当地(旧上高井戸村)の鎮守社であったと伝えられている[3]。なお、当社は明治時代以前には「第六天神」と呼ばれていた[3]。
天保年間(1830年〜1843年)には本殿や拝殿が焼失してしまう。その後しばらく仮殿の状態であったが、1856年(安政3年)に現在の本殿を再建しており、1872年(明治5年)11月には近代社格制度における村社に列している。さらに1881年(明治14年)には拝殿も再建された[2]。
中央自動車道の新設にともない社殿を後方に曳家することとなり、1972年(昭和47年)6月には鉄筋コンクリート造による本殿の覆殿および幣殿が新築された[2][3][4][注 1]。加えて、この際には拝殿屋根の葺き替えや七社の境内社を祀る現在の末社殿(鉄筋コンクリート造銅板葺)の新築も行われている[2]。
その他の多くの第六天神社(あるいは大六天神社)を含めて、元々は神仏習合の時代に第六天魔王波旬(はじゅん、サンスクリット語: पापीयस् pāpīyas、天魔、他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際に、その社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネに祭神を変更した。織田信長が自ら第六天魔王と名乗った由来の天部であった。
境内
[編集]境内および当社拝殿への拝観は無料である。境内の末社殿には以下の境内社(七社)が祀られている。また、鳥居から拝殿に向かうと二対の狛犬が置かれている。手前(一対目)の狛犬が1917年(大正6年)造、奥(二対目)の狛犬が1771年(明和8年)造となっており、特に後者については焼失した旧社殿よりも前に造られた貴重なもので、杉並区の指定文化財にもなっている[2]。
境内社
[編集]- 秋葉神社
- 白山神社
- 浅間神社 - 村内の字前山にあった浅間社を1897年(明治30年)に当社の末社として遷座[3]。
- 天祖神社 - 村内の字伊勢にあった神明社を1897年(明治30年)に当社の末社として遷座[3]。
- 氷川神社
- 稲荷神社(二社祀られている)
祭事
[編集]かつての祭事
[編集]明治以前の祭日は11月22日であった。1965年(昭和40年)頃までは宵宮(本祭前夜)になると、農作業を終えた人々が御神酒を飲みながら夜通し拝殿にこもる「おこもり」という風習があった。また、昭和初期までは「雨乞い神楽」も行われていた[4][5]。
アクセス
[編集]ギャラリー
[編集]-
境内入口の鳥居と社号標
-
一対目の狛犬手前より拝殿を見る
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左側から拝殿と本殿
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]兼務社
[編集]- 下高井戸浜田山八幡神社 - 本務社
- 大宮前春日神社
- 久我山稲荷神社
- 西高井戸松庵稲荷神社
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 第六天神社(下高井戸浜田山八幡神社 公式サイト内)